今年のお盆は、前日より妻の実家のある島根県に来ている。
妻の実家のお義父さんは、世間でいうところの「昭和の親父」で、礼儀や規律など非常に厳格な夫唱婦随の父親である。
結婚当初より僕が妻の実家に行くと、お義父さんは「ヒデさん、ヒデさん」といわゆる上げ膳据え膳の状態でいつも恐縮してしまう。
いつもであれば夕食の際には、目一杯酒を飲んでお義父さんと陽気に戯れるのだが、今回は違う。
酒はほどほどに切り上げて、リビングとは離れた場所にある、家族が寝泊まりする床の間で妻に会社が窮地であることを話す。
一瞬目が点になって絶句の状態だった妻が、程なく心配そうに口を開く。
「潰れると?」
「いや、絶対に潰さん!今、策を考えとる。」
「弁護士さんに相談した?」
「兵庫にうちの株主でもある弁護士の先生知っとるやろ?今度相談に行くことにした。」
「何とかなりそう?」
「分からんけど、何とかせなイカン!」
僕と同じように、妻も僕の破産を気にしていた。
「会社の借金は?」
「個人補償しとるから、会社が返済できんとなったら、その支払いは俺にくる」
「払えると?」
「払える訳ないやんか!」
会社の月々の返済は100万円もある。
「どうすると?」
「リスケさせてもらうしかなか!」
「リスケって?」
「簡単にいうと、返済を待ってもらえるように銀行にはお願いをしてみる」
この時、僕は会社を立ち上げて12年が過ぎていた。元々工務店を経営していたが、設立5年目の時にあるアイデアを思いつき、現在販売しているスピーカーの開発を行ない、2年の歳月を経て商品化にこぎつけた。
資金は無かったので、父の友人から一部借金をして開発を行なったのであるが、その返済には月20万円ほどかかっていた。報酬がゼロの状態だと、途端に生活が窮してしまう。
「あたし働くけん、ヒデさんも何かバイトして欲しい」
専業主婦の妻がポツリと言う。妻は結婚前、地元中堅の病院でPT(理学療法士)として活躍していた。
「あたしが働けば20万ほどにはなるから、ヒデさんも10万くらいは稼いで欲しい」
珍しく重たい空気で話していたので、長女の凛が心配そうにこちらを見ている。
凛は小学校3年生。アメリカでは地元の幼稚園を卒園し、英語を話せることが自慢の娘である。
「おい、凛!心配せんでもよかぞ!父ちゃんはお前たちを路頭に迷わせるようなことは絶対にせん!」
小学校1年生で次女の杏も、ただ事ならぬ話だとは気づいたらしい。
客観的には大好きな絵本を読んでいたが、聞き耳を立てていたようた。
また不安そうな姉の顔を見て、何やら泣きそうな顔をしている。
「杏も心配せんでよかぞ!」
明るく声をかけた。
部屋の端で寝ていた生後5ヶ月の長男の完太郎が突然泣き出す。
ふと自分には赤ん坊がいることを思い出し、妻に聞く。
「仕事っちゅうても、完太郎がおるやんか?」
「保育園探すよ」
当時はツイッターで呟かれた「保育園落ちた日本死ね!!!」が、国会で議論されたくらい保育園の空きがない状態だった。
「保育園空いて無かったらどうする?」
「施設内に保育園がある病院もあるから、そういう所を探してみる」
完太郎をあやしながら妻は答えた。
「そっか、すまんな」
「お父さんにも話そうか?」
「いや、余計な心配をかけさせたくないけん、話さんでくれ」
これまでお金だけでなく、妻のお義父さんには色々と支援を受けてきた。
前向きな話だったらともかく、土壇場の話なんてできるはずもない。
「おーい、お前たちはまだ起きとるんか~」
噂をすれば何とやらで、奥のリビングからお義父さんが叫んできた。
時計を見ると、もう12時を回っていた。
「やばい、やばい。明日は墓参りやから寝よう、寝よう」
僕はそう言うと、部屋の明かりを消した。
子ども達はすぐに寝息を立てた。
しかし、僕は先が見えない不安で眠れなかった。
どれくらい時間が時間がたっただろう。
「ヒデさん、ヒデさん」小声で妻が呼ぶ。
「起きとったんか?」
「腹くくったら、何とかなりそうだと思えてきた!諦めず頑張ろうよ!」
「すまん・・・」
妻の優しさに思わず涙した。
そして朝、目が覚めると妻の実家の食卓には朝食が並んでいた。
「お前たちは、えらい遅くまで起きとったもんやのう」
何も知らないお義父さんは笑いながら話しかけてきた。
「出張が多いもんで、久しぶりに家族全員で揃って、寝るのが惜しくなって・・・」
「ははは、そうか!」
今日の島根の気温は今日は35度を超えるらしい。
「凛!杏!今日は墓参りしたら、そのあと海行くぞ~!」
将来の不安を打ち消すように、僕は満面の笑みで叫んだ。