3. お墓参り(2016年8月16日)

3.お墓参り

今年のお盆は、前日より妻の実家のある島根県に来ている。

妻の実家のお義父さんは、世間でいうところの「昭和の親父」で、礼儀や規律など非常に厳格な夫唱婦随の父親である。

結婚当初より僕が妻の実家に行くと、お義父さんは「ヒデさん、ヒデさん」といわゆる上げ膳据え膳の状態でいつも恐縮してしまう。

いつもであれば夕食の際には、目一杯酒を飲んでお義父さんと陽気に戯れるのだが、今回は違う。

酒はほどほどに切り上げて、リビングとは離れた場所にある、家族が寝泊まりする床の間で妻に会社が窮地であることを話す。

一瞬目が点になって絶句の状態だった妻が、程なく心配そうに口を開く。

「潰れると?」

「いや、絶対に潰さん!今、策を考えとる。」

「弁護士さんに相談した?」

「兵庫にうちの株主でもある弁護士の先生知っとるやろ?今度相談に行くことにした。」

「何とかなりそう?」

「分からんけど、何とかせなイカン!」

僕と同じように、妻も僕の破産を気にしていた。

「会社の借金は?」

「個人補償しとるから、会社が返済できんとなったら、その支払いは俺にくる」

「払えると?」

「払える訳ないやんか!」

会社の月々の返済は100万円もある。

「どうすると?」

「リスケさせてもらうしかなか!」

「リスケって?」

「簡単にいうと、返済を待ってもらえるように銀行にはお願いをしてみる」

この時、僕は会社を立ち上げて12年が過ぎていた。元々工務店を経営していたが、設立5年目の時にあるアイデアを思いつき、現在販売しているスピーカーの開発を行ない、2年の歳月を経て商品化にこぎつけた。

資金は無かったので、父の友人から一部借金をして開発を行なったのであるが、その返済には月20万円ほどかかっていた。報酬がゼロの状態だと、途端に生活が窮してしまう。

「あたし働くけん、ヒデさんも何かバイトして欲しい」

専業主婦の妻がポツリと言う。妻は結婚前、地元中堅の病院でPT(理学療法士)として活躍していた。

「あたしが働けば20万ほどにはなるから、ヒデさんも10万くらいは稼いで欲しい」

珍しく重たい空気で話していたので、長女の凛が心配そうにこちらを見ている。
凛は小学校3年生。アメリカでは地元の幼稚園を卒園し、英語を話せることが自慢の娘である。

「おい、凛!心配せんでもよかぞ!父ちゃんはお前たちを路頭に迷わせるようなことは絶対にせん!」

小学校1年生で次女の杏も、ただ事ならぬ話だとは気づいたらしい。

客観的には大好きな絵本を読んでいたが、聞き耳を立てていたようた。
また不安そうな姉の顔を見て、何やら泣きそうな顔をしている。

「杏も心配せんでよかぞ!」

明るく声をかけた。

部屋の端で寝ていた生後5ヶ月の長男の完太郎が突然泣き出す。
ふと自分には赤ん坊がいることを思い出し、妻に聞く。

「仕事っちゅうても、完太郎がおるやんか?」

「保育園探すよ」

当時はツイッターで呟かれた「保育園落ちた日本死ね!!!」が、国会で議論されたくらい保育園の空きがない状態だった。

「保育園空いて無かったらどうする?」

「施設内に保育園がある病院もあるから、そういう所を探してみる」

完太郎をあやしながら妻は答えた。

「そっか、すまんな」

「お父さんにも話そうか?」

「いや、余計な心配をかけさせたくないけん、話さんでくれ」

これまでお金だけでなく、妻のお義父さんには色々と支援を受けてきた。
前向きな話だったらともかく、土壇場の話なんてできるはずもない。

「おーい、お前たちはまだ起きとるんか~」

噂をすれば何とやらで、奥のリビングからお義父さんが叫んできた。
時計を見ると、もう12時を回っていた。

「やばい、やばい。明日は墓参りやから寝よう、寝よう」

僕はそう言うと、部屋の明かりを消した。
子ども達はすぐに寝息を立てた。
しかし、僕は先が見えない不安で眠れなかった。

どれくらい時間が時間がたっただろう。

「ヒデさん、ヒデさん」小声で妻が呼ぶ。

「起きとったんか?」

「腹くくったら、何とかなりそうだと思えてきた!諦めず頑張ろうよ!」

「すまん・・・」

妻の優しさに思わず涙した。

そして朝、目が覚めると妻の実家の食卓には朝食が並んでいた。

「お前たちは、えらい遅くまで起きとったもんやのう」

何も知らないお義父さんは笑いながら話しかけてきた。

「出張が多いもんで、久しぶりに家族全員で揃って、寝るのが惜しくなって・・・」

「ははは、そうか!」

今日の島根の気温は今日は35度を超えるらしい。

「凛!杏!今日は墓参りしたら、そのあと海行くぞ~!」

将来の不安を打ち消すように、僕は満面の笑みで叫んだ。